2008年12月7日日曜日

九鬼水軍の夢の跡-伊勢行その2


珍しく早起きしたので、朝食までの時間、鳥羽の旅館「海月」の直ぐ近くにある鳥羽城跡を訪ねました。海を防御掘に見立てた小高い丘上にある城跡です。ここは、戦国時代に名を馳せた九鬼(くき)水軍の大将、九鬼義隆の居城があったところです。

織田信長と石山本願寺との紛争にからんで、織田配下の九鬼水軍と、石山本願寺を支援した毛利方の村上水軍の間で繰り展げられた海戦は、歴史上有名な話です。最初、村上水軍の熟達した操船技術と火矢攻めに会い完敗した九鬼水軍は、次には木造船に鉄板を張った鉄甲船を繰り出し、村上水軍に勝利しました。

ここまでは、私もぼんやり聞き知っていた話ですが、城跡に残っていた碑によると、この後がどうもいけなかったらしい。義隆は、信長没後は秀吉に仕え、九州や小田原攻め、朝鮮出兵にも海軍の将として活躍したそうですが、家督を息子の守隆に譲ったあとで、彼の悲運が始まります。関が原の戦いで、父の義隆は秀吉の恩に報いるため西軍に加担、息子の守隆は東軍につき、西軍があっという間に敗れたため、嘉隆は鳥羽から目と鼻の先の答志島に逃れ、自刃したそうです。

この後、守隆が九鬼水軍を引き継いだものの、1633年摂津三田ならびに丹波綾部へ転封されたため、九鬼一族は陸へ上がり、長年親しんできた海と別れを告げたそうな。鎖国志向の徳川幕府にとっては、水軍の跳梁はあまり嬉しくなかったのでしょうか。海の荒くれどもの夢のあと、鳥羽城跡は、鳥羽真珠島の直ぐ対面にあります。

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