2008年12月31日水曜日

仙台光のページェント


仙台で最も有名な通りのひとつ、定禅寺通りの「光のページェント」。冬の風物詩として、すっかり定着した。確か昭和30年代に植えられたいう4連の欅が大きく成長し、真夏はひんやりとした木陰を作る。冬に落葉すると、その細い枝の先にまで電球を巻きつけ、いっせいに点灯されると、大きな光の林になる。

今年から、屋根の覆いのない2階建てのバスで、これの見物ができるようになった。ちょっと目線の高いところから光のトンネルを潜り抜ける趣向だ。暖かい光のシャワーに包まれて、皆さん満足気。

 

2008年12月15日月曜日

同じ新花巻駅ですが・・・


遠野に至る釜石線の新花巻駅と、これに交差する東北新幹線の新花巻駅。
片方は、過疎化しつつある村や町に続く単線の小さな駅、片方は技術革新と繁栄の街々に続く駅です。この二つの駅の先につながるものをどのような価値観と尺度で見るのか、遠野はそんなことを考えさせるまちです。

 

大根の山葡萄漬け


遠野の駅前のスーパーで、山葡萄がざる一山いくらで売られていたので、店の人に聞くと、ジュース、ジャムづくりや漬物用など、遠野では幅広く家庭料理に使うらしい。翌日、喫茶店の親父さんに聞いたら、山に自生する山葡萄は、本来は実も小さく、かなり酸っぱい。山葡萄を里で栽培したものを地元では「里ぶどう」といい、おなじDNAなのに粒も大きく、甘味が増す。遠野の人たちはこれを育て、大根と一緒に漬けたり、ジュースを作って楽しむそうです。

「商品化したものは、無いんですか?」
「漬物はともかく、ジュースにして瓶詰めするとなると、大掛かりな装置が必要になるんで、遠野では見かけないね。必要な時には、家庭で作れるしね。」
帰りに、新花巻の駅前のお土産屋に立ち寄ったら、一本1700円也で売っていましたが、これは岩手県久慈産でした。

 

琵琶の弾き語りで遠野民話


遠野の伝承民話は、地元のおばあちゃん達の語り部が、訥々と語るのを聞くのが普通です。柳田国男が編纂した「遠野物語」は、装飾的修辞や余計な感情移入を削ぎ落とした民話集ですから、想像力の欠如した私なんかには、読み物としては恬淡とした印象しか残りません。その点、遠野市立博物館のAV画像で見る昔話は、鮮やかな色彩と幻想的な絵柄で、なかなか魅力的な映像に仕上がっています。
 
民話の中には、凄惨で血腥い話も数多く含まれています。でも、語り部の口を通すと、南部訛りの独特の柔らかさと、こちらが東北弁の細かいニュアンスを聞き分けられないことも手伝って、母親の胎内でぬくぬくと怪異譚を聞くような趣になります。しかし、同じ話でも琵琶の弾き語りで聴くと、琵琶特有の不気味な顫音と心臓の鼓動を高めるような撥音が、おどろおどろしい雰囲気を醸しだすから不思議です。機会があったら、是非お聞き逃しなく。

 
 

2008年12月8日月曜日

遠野のスポーツ流鏑馬

遠野の八幡宮では、毎年9月15日の例大祭で、神事としての流鏑馬が行なわれます。その後、もっと秋も深まってから、「全国スポーツ流鏑馬競技大会」が、遠野馬の里で行われます。

競技としてのスポーツ流鏑馬では
●直線走路の通過タイムに、クラス毎の制限時間が設けられている
●的に矢が的中した場合でも、中心円とその外側で配点が異なる
ので、スピードと正確性の両方が求められます。
 
地元は勿論、青森、十和田、群馬などから選手が集まりますが、驚いたことに、半数はうら若い女性です。神事の流鏑馬では、普通狩装束をまといますが、ここでは、狩衣風、水干風、武士風等実に多彩で、きらびやかです。特に若い女性選手は、宝塚の男役のように颯爽としていて、盛んな声援を受けていました。
 
走路は190M、幅2.5Mで、60M間隔で3つの的が設けられています。秒速10メートルぐらいのスピードで疾駆する馬上から、次々と矢をつがえ、的を射抜くのはなかなか難しく、3つの的全てに的中させる人は、それほど多くありません。なまじっかの乗馬経験では、両手を離すこと自体がおそろしそうで、落馬しないようにするのが関の山ですね。
 
遠野は、昔から馬産の盛んなところで、土俗信仰や民話の重要な主役は馬です。しかし、農耕馬がトラクターに取って代わられ、馬との共生が当たり前だった曲り屋は、今ではすっかり少なくなっています。それでも、乗用馬の育成・競り市や競走馬の訓練などは、営々と引き継がれていますし、スポーツ流鏑馬の試みも、伝統の馬文化を守っていこうとする地元の熱意の表れでしょう。

  

紅葉の重湍渓-遠野

早池峰山(はやちね)の麓に広がる重湍渓(ちょうたんけい)のこと。
前夜の雨に洗われて、この日は早池峰山の頂上までくっきり見えてます。この山は標高1917Mもあるのですが、横にどっしり広がっているので、こうして遠景で見ると、さして高い山には見えません。
 
重湍渓は、渓流に沿って自然の広葉樹林が広がる紅葉の名所です。しかし、駅から遠く、バスの便も良くないので、車がないと訪れるのはちょっと難しいところです。渓流に沿って道が一本通っているだけで、駐車場もトイレもありません。地元の人はともかく、奥入瀬のように観光客がワンワン入ってくるところではないので、のんびり散歩すると、気持ちのよいところです。
 
K夫人は草花に大変詳しい人なので、「あら、○○だわ」とか「こんなところに××が咲いてる」とか仰るが、こちらは「えっ?」とか「ほー」とか、うろんな返事しかできません。そのうち夫人は、渓流のあちこちに落ちている朴(ほう)の大きな落ち葉を拾い始めました。
「帰ったら、朴葉味噌でも作ろうかな」
「お肉を載せると、美味しそうね」
旦那様の血圧が、また上がりそうです。
 
東北は紅葉もさることながら、私のお薦めは新緑です。関東周辺では、透き通ったような薄黄緑の若葉はほんの一瞬で、直ぐ緑影が増してしまいます。東北のブナの若葉を太陽の光を透かして見上げると、黄緑の風が葉っぱに姿を変えて、折り重なったように見えるから不思議です。紅葉の盛りより長く続くので、当たり外れもあまりありません。
 
 

2008年12月7日日曜日

煙突にサンタが


近所のお宅をふと見上げたら、サンタが煙突によじ登っていました。よく見ると、等身大の人形です。個人の住宅でも昨今電飾ばやりですが、ここまで凝る人は珍しい。夕闇にまぎれて、どう見えるかまではチェックしていませんが、そそっかしい巡査が騒ぎ立てなければいいのですが。

 

生活バス運行のNPO

木更津市内で生活バスを運行するNPO法人「ライフサポート波岡」のこと。
木更津市の南部には八幡台・大久保団地などの大団地がありますが、
●駅から遠い
●バスの運行本数が少ない
●市街地に出るのに片道440円もかかる
●病院やスーパーなどの近くに停車場がない
等の問題がありました。そこで有志を募って、会員制のコミュニティバスの運行をスタートしたのが2005年。

現在3台のワンボックスカーを保有し、住宅地、スーパー、病院、市役所などを結ぶ30キロのルートを一日5回循環するそうです。ルート上ならどこでも乗車・下車が可能、運転は14人のボランティアが交代で担当しています。

この活動が通常のコミュニティバスと違うところは
●行政から運行のための財政補助を受けていない
●白ナンバーで路線免許を持たない
ことです。

会員は約200名、月1,000円の会費を運行費用に充てています。しかしバスの年間運行経費は会費収入の3倍もかかるので、逆ザヤを埋めるために、木更津市庁舎での案内業務、公園の清掃、個人宅の庭木の手入れなど、お金になることをアレコレやられているそうで、実にたくましい。 

理事長の近藤弘さんは、古希を迎えてなお意気軒昂、手作りポスターの前で、面白い話をいろいろ聞かせていただきました。関心のある方は、下記に連絡して下さい。
特定非営利活動法人ライフサポート波岡
〒292-0814 千葉県木更津市八幡台3-18-9
TEL/FAX:0438-36-6900

 

蝙蝠安は色男だった!?

(この記事は、2008年2月のものです。千葉も珍しく雪!)
木更津に行ったついでに、歌舞伎ファンにはお馴染みの「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の「切られ与三郎」と「蝙蝠安」のお墓にお参りしてきました。

今から約150年前、八代目市川団十郎が初演し、大当たりをとったこの有名な狂言の与三郎のモデルは、長唄の名跡「四世芳村伊三郎」がモデルだったと言われています。伊三郎は元々は、千葉大網白里の紺屋の次男坊、中村太吉。「お富」のモデルといわれる「キチ」をみそめて深い仲になったため、キチを囲っていた旦那の手下どもに膾切りにされ、簀巻きのまま木更津の川に投げ込まれたそうな。辛うじて一命を拾った太吉は江戸へ出て、キチと再会、天性の美声を買われて長唄の名跡を継いだところまでは良かったが、芸の妬みから毒酒を呑まされ失声、失意の内に故郷に戻ったそうです。

伊三郎に目をかけていた団十郎は、戯作者瀬川如皐に伊三郎とキチをモデルにした狂言を書かせ、自ら与三郎役を初演しました。杉本苑子さんが八代目団十郎に取題して書かれた小説「傾く滝」では、そのときの凄惨なまでに美しい団十郎の芸に、江戸中の女子衆が痺れかえった様が描かれています。

この中村太吉こと伊三郎の墓は、東金市の最福寺にあるのですが、どういう経緯か、木更津駅前の光明寺にもお墓があります。木更津駅を背にして正面の大通りを100メートルほど進むと、右手に光明寺という立派なお寺があり、境内に「切られ与三郎の墓」があります。雨露をしのぐ屋根小屋は、市村羽左衛門が与三郎を演じた記念に寄進したもの。

この光明寺の北200メートルほどのところにある選擇寺(せんちゃくじ)に、与三郎の悪仲間「蝙蝠安」の墓がありました。下卑た小悪人の「蝙蝠安」は、白塗りの二枚目が演る役どころではないので、大名題から屋根小屋の寄進がある筈もありません。しかし、意外なことがあるものです。説明板には次のように書かれています。
『本名:山口瀧蔵。木更津の大きな油屋、紀の国屋の次男坊。男振り良し、声良し、金回り良しのボンボンで、花柳界の寵児だった。夜毎ふらふらと出かけるので、蝙蝠安のあだ名がついたが、ゆすりを働くような悪党ではなかった、云々・・・』 

要するに、あだ名だけが狂言に活かされたようですが、現実の太吉(後の伊三郎)と瀧蔵の間に、木更津での接点があったのか、無かったのか、その辺りは皆さんの方で想像をめぐらせて下さい。因みに、八代目団十郎は人気絶頂の32歳の若さで自殺しており、その動機は未だ謎とされています。「傾く滝」はあくまで杉本さんの創作ですから、念のため。

 
 

有機栽培農家の助っ人-ソフトスチーム加工

Yさんからメールを戴き、千葉県中小企業家同友会主宰の講演を聴きに行きました。テーマはYさんご自身の「野菜など食品加工におけるソフトスチーム加工技術」について。

講演の前に、先ずはテーブルの上に乗っかっている各種野菜の乱切りやペーストを試食してくれとのこと。なるほど、大根、ジャガイモ、かぼちゃ、ごぼう、人参などの有機農法で作った野菜類は、しっかりした味わいと独特の甘みがあって、生のままの美味しさです。青臭さや硬さは勿論無く、かと言って水煮のようなグチャグチャの水っぽい食感ともまるで違います。

これらは、40度から95度Cの間の蒸気で加熱加工したもので、食べられる状態にしながらも、素材自体の味、香り、食感、熱に弱い栄養分などをしっかり残せる新しい技術を使っているとのこと。この技術は、果物、豆類、肉類、魚貝類にも応用できます。

●消費者にとっては、下拵えをした食物素材が手軽に手に入る(冷蔵で最大一ヶ月保存可)
●供給側にとっては、形や大きさの不揃いなものも全部商品化できる
などのメリットがあります。設備投資もそれほど巨額ではないので、既に商品化が行なわれ、菱食の流通ルートに乗って、市販されているそうです。

贈答品にするわけでもないのに、日本人が野菜・果物等の見た目の姿かたちや大きさの均質性に拘り出したのは、いつ頃からでしょうかね? 有機栽培では、『規格外』のものができ易いので、小規模農家にとっては、こういった技術は大きな助けになると思われます。この技術を応用した具体的な事業例は、次をご覧下さい。
⇒http://www.toyohashi-cci.or.jp/joho/2006interview/200602.html